2014年6月7日土曜日

リスクをとれない今のアカデミア

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競争が激しいと成果が生まれやすくなるというのは当たっているようで当たっていないんですね。

科学の世界では必ずしも正しくない。
競争が激しくなるとどうしても近視眼的になってしまう。
昨日・今日のこと、直近でどのように評価されるかが重要になってしまう。



科学に期待されていることは、そんなことじゃないでしょ?
成果は100年後200年後に摘み取れれば良いのだから。

科学なんてものはすぐに役にたたなくていい。量子力学だって研究されだした時点でなんの役に立つかなんてまるで見当がつかなかった。でも現在それなしで私達の生活はままならないわけで。(半導体なんて量子力学わかってなきゃ全くわからん)

膨大な研究者がこれは面白いかもしれんと、やってたことの1つか2つが大きく当たって、人類の発展に寄与するというので良い。

現在の激烈なアカデミアの競争(特にポストの面)は、結果として、研究者及び研究アイデアの矮小化を招いていると思う。

その競争の果てに、やっとパーマネントの職をゲットしたが、競争に疲れ切った准教授や教授が量産されている。当初の志を忘れてしまい、もうやる気がない。

結局、イノベーションというものは自発的な動機付けからしか生まれないだろう。四六時中、身分を脅かされていると、すぐに成果になる大して面白くない研究がはびこることでしょう。そんなこと望んでないよね誰も。

競争に打ち勝つというモチベーションの質は低いということだと思います。もっと自発的に内部から沸き起こるものこそ本物だと。でもそういうモチベーションで10年20年と研究を継続することは不可能になってしまっている。湯川秀樹だって中間子論にたどりつくまではどちらかというとウダツのあがらない研究者だったわけで。
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